死について思うこと

  

 

昨日何気なくツイートしたことが、

意外と反響があって

様々な意見が聞けたことに

驚きと面白さがあったんだけど

 

結局はみんなポックリ逝きたいらしい(笑)

 

まぁ、表題どおり死について

記事を書くとなんとなく

このブログのコンセプトである

楽しいブログと反対のほうに

いきかねないから、締めは

ポジティブにいきたいと思う。

 

私が推察する

死ぬときポックリ逝きたいって人の理由は

・苦しみたくないってこと

・身内に迷惑をかける時間を少なくしたい

だと思う。

 

ポックリ逝くというのは

今の状態で逝くこともそうだし

年とってもポックリ逝くことだと思う。

なんとなく簡単であっけない響きだ。

たぶん、心臓麻痺とかなのかな。

具体的な死因としては。

 

なんで、簡単であっけないほうが

みんないいって言うんだろうって

考えてみたんだけど

死に対する恐怖だと思う。

 

死は苦しい、痛い、なんか怖い。

それをどうせ死ぬなら緩和したい。

楽に逝きたい、あっけなく終わりたい。

 

そういう側面もあるんじゃないかな。

 

斎藤一人さんの動画で聴いたんだけど

これから死ぬ人ってのは

ウンウン苦しんでても

あの世にいくときは意外と苦しんでいないらしい。

これは死ぬ間際にならないとわからんことだから

なんともいえないんだけど、

自分が母親から産まれてくるとき

苦しかったかどうか分からないで産まれてくる

って感覚と同じらしい。

まぁ、よくわからないで産まれてくる。

そして本人は死ぬときもよくわからない。

分かってるのかもしれないけど

忘れてしまう。こういうのじゃないかなと

勝手に思ってます(笑)

 

逆にツイートで書いた

長生きしてボケながら死んでいく

というのはポックリ賛成100%

に対して、賛成率0%だった。

これは、ポックリ賛成理由と

私が考えている身内に迷惑をかける時間を

少なくしたいと相反するものだと思う。

 

老いる、ボケる、死ぬ。

その過程から結果で

どうしても迷惑がかかる。

その時間が長ければ長いほど嫌だと思う。

気持ちとしては自然だと思う。

 

ただ、人生の初めとして産まれてくるとき

誰にも迷惑をかけなかっただろうか?

産む母親というのは苦痛を感じなかっただろうか?

今、生きているのに誰にも迷惑をかけずに

生きてこれたことがあっただろうか?

死ぬときも迷惑をかける

これも自然のことじゃないかな。

進んで迷惑をかけろって話ではないですw

 

この記事書いて思うけど

やっぱ、人生人になにかしら迷惑はかけるよ。

私には90を超す祖母がいて

元気はまぁあるけど

トイレの場所とか分からなくなったりして

これはしょうがないことなんだけど

なんか嫌だなって思うことはあるけど

やっぱり、身内は思いやりや愛をもって

接しないといけないなと思います。

私だって祖母に迷惑をかけたかもしれない。

今度は私にも迷惑をかけてもいい。

嫌だなって思っちゃったら

そんなことを今学んでるのかななんて

思い出そうと思うんですね。

 

結局、理想の死に方ってのは

人それぞれもってるけど

そのとおりいくかどうかなんて

神様くらいしかわからんですもんね。

 

死に対して考え方もつことはいいこと

だとおもう。

ただ、今を生きているんだから

生き方も考えなきゃいけない。

よい生き方の延長線上に

よい死に方があると思うので

できるだけ、徳のある生き方を

したいなって思ってます(笑)